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大交流会の開催にあたって。 [新しいもの]

 4月9日に僕のニコニコ生放送1,000回記念として大交流会を開催する運びとなった。すでに全国各地から多くの参加申し込みがあって大変に嬉しく思うのと同時に、これまでの自分の来し方というものが胸に去来しているので少しばかり文章にしてみようかと思う。

 
 このところYoutubeに動画を投稿し始めた時期のことを思い起こしている。新しいシンセを導入したことを契機に「自分の演奏の練習風景でもUPしてみるか」といった軽い感じだったと記憶する。意外なことだったが「こういう動画でもそれなりに再生されるものなんだな」というのが第一印象。コメントが付くことにも新鮮な感動を覚えたものだ。
 生放送でもしばしば話すことなのだが、僕が独学で鍵盤を開始した時には「自分の演奏が他者の耳目に届く」手段など極めて限られていた。音楽雑誌への投稿・コンテスト応募や身近な発表会、あるいはライブといった「リアル」だけがあったわけだ。自分の力量や性分から考えて、これらの手段が僕の進むべき道には全く映らなかった。そもそも音楽を生業にするなんてことは眼中になかったから、そこまで真剣に道を模索するという行動にもならないわけだが。まして僕の生まれ育ったのは北海道の地方都市。華やかな活躍など望むべくもない地域だった。だから、僕の音楽生活はただ黙々と「好きな楽曲を自分の好きなようになぞる」という日々を積み重ねてきたということに過ぎない。 自分でオケの再生ボタンを押し、自分で演奏して、自分でラリッて(笑)、一人で気持ち良いだけ。誰も僕を知ることはないが、それで十分に満足していた。独学開始からそういう日々が10年以上続いていた。その間、進学で東京に住むようになってもそれは全く変わらない日々だった。

 そんな「自分だけの音楽」に勤しんでいる間、時代は大きく動いていた。インターネットの進化はブロードキャスト側だけではなく、一般階層の人々にも多様なコンテンツの提供を求め始めていた。度重なる技術革新は我々のような普通の消費者にも創造力を付与する営みになっていた。文章、映像、写真、音楽やゲームに至るまで、それを本業としない人間にも「自らを披歴する場」というのが比較的容易に得られるような時代が幕開けて来たのであった。
 演奏動画を投稿するたびに付けられるコメント、重なる再生数。「自分だけ楽しい」という、これまでの音楽との関わりとは異質の刺激が僕を包み始める。自分としては何の変哲もないと思っている演奏に感じ入ってくれる人がいる。楽しんでくれる人がいる。こんなことはそれまでになかったことだった。ネットの先にいる「見えない方々」に背中を押されているような気持ちに勝手になって、あれやこれやと動画を撮るようになり、演奏も工夫するようになったり、レパートリーを増やそうと考えてみたり、とにかく音楽の取り組みについての視野・行動が拡大していった。 それでも、僕の基本的なスタンスは「自分の練習風景をチラ見せしている」という次元から根本的に変異したわけではなかったと思う。

 そうした動画投稿を楽しむ日々に新たな一石を投じたのは、最初の投稿から2年ほど経過した2010年9月の「木根本」の発売だった。僕はすぐにこの本を手に取って、お気に入りの一曲を日本で最初にUPしようと意気込んでいた。木根本に書かれていた木根さん本人の「カバーをやってくれることは嬉しい(主旨)」という一文にも発奮して、木根本そのものを画に取り込みつつ「TIME MACHINE」のピアノプレイ動画を投稿したのだ。これに反応したのが「北のTK」こと、たつ(TATSUO KIMURA)さんだったらしい。木根本を編集したルイ(RUY NAKAYAMA)さんと木根本の販促をどうしようかと相談していた時期だったようである(当初は僕の動画をサクラだと思ったとか…)。 たつさんは僕の投稿を見て「これだ!」とひらめいたようで 「木根本そのものを動画内に入れ込むこと」というルールを設定し、自由に木根楽曲をYouTubeに投稿して共有するというアイディアを発案する。「キネフェス」が誕生した瞬間であった。
 この企画はとても新鮮で、木根さん御本人が視聴の上、ツイートしてくれるというプランになり、僕自身もツイートが寄せられると非常に嬉しかったことが昨日のように思い出される。加えて、小室みつ子さんも参加するという展開にもなってサプライズを大いに楽しめたものだった。その集大成として、年末にはツイッターを通して歌声を募集した人たちと「Dreams of Christmas」の制作に至ったわけだ。この時、たつさんから「ピアノ弾いてみる?」とお声がけのあったことが今日の僕の音楽活動へと繋がる契機となった。「自分なんかで大丈夫なんだろうか」とひどく緊張したことが忘れられない。何しろ「一人で勝手に楽しんできただけの音楽歴」なのだから、それも当然のことであった。何度もアレンジを考え、弾き直しては、録り直す。立ちっぱなしで弾き倒す。そんなことを繰り返して作った演奏音源。完成した動画を観た時の身震いは、いまも僕の中に残ったままだ。
 あの時に繋がったFANKSさん達との交わりが現在の交流の基となっている。求めずして得てしまったような、成り行きで成立するにはあまりに自然すぎる関係で、「縁」という不可思議な存在を思わせるような接続であったと感じるばかりである。

 その後、僕はニコニコ生放送を開始して回数を重ねること1,000回。この5年余りの期間、本当に色々なことがあったが、どれも楽しい思い出ばかりだ。視聴者は徐々に増え、ツイッター拡散、放送コメントや歌詞貼り、弾幕、広告(お金を使ってまで…)など、僕の枠をあらゆる角度から支えて下さった。同じアーティストを愛する人たちの「場」として機能する側面もあったかのように思われる。また、心温まるバースデー動画まで作って頂いたりもして恐縮の至りであった。
 やがて視聴者同士がリアル交流を開始し、放送主である僕とは関係なく友情を深めていく様子を目の当たりにしてきた。本家ライブの際には連絡を取り合い連れ立って参加したり、日常的に会ったり、家族ぐるみでの交流などもあるようだ。すでに人生の一部ともなりつつあるような絡み合いの中で、独学開始当初には想像もつかなかった環境が僕の眼前に形成されていた。互いに思慮し合い、配慮を重ねたり、楽しんでいこうとする関係がある程度自律的に機能していることを、僕は密かにとても嬉しく思っていた。人間はおよそ「関係しあう生き物」である。好ましい影響を与え合える関係なら、それを押し止める理由などない。僕の枠を契機に音楽への関わりが深くなったり、楽器を手にしたり、ファン熱が再燃したり、知人を増やして日々を豊かにしようとしたりする動きがあったりすること。それが何よりも僕の喜びとなっている。

 インターネット世界を通しての人的交流というものにはどうしても軽々と踏み出す気持ちにはなりにくかった僕が自ら「大交流会」なるものを発案するに至ったのは、このような背景があったからだ。この大交流会は僕の心からの感謝を皆さんにお伝えする場となるだろう。集ってくれた方々の胸に長く残る思い出・縁を提供できたら、こんなに嬉しいことはない。
 遠近問わず参加を決めて下さった方々、予定が合わずとも会の成功を願って下さった方々、普段の視聴者の方々、運営スタッフ(当日含む)として協力を申し出て下さった方々、要望を柔軟に受け止めて頂けるお店、そして、この根幹である本家の存在。僕はその全てに心で最敬礼しながら、当日を迎える。

 

僕に関わって下さった皆さんに言い尽くせぬ感謝の意を表します。 

ありがとうございます。

ありがとうございます。

本当にありがとうございます。 


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