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NHK「サイエンスZERO」 [思索の散歩道]

普段はテレビをそれほど見ないのだが、先日偶然目に止まった番組があった。 NHKの「サイエンスZERO」である。放送終了10分前くらいから見たのだが、少々感想を持ったので記しておきたい。

結論から言ってなかなか示唆に富んだ番組だと思った。へその下の話や、金や殺人、ケンカの話題でごったがえしているワイドショーとは比べものにならないほど教養を感じる内容である。最先端科学をわかりやすく紹介していく主旨なのであろうが、そうした試み自体は評価すべきものだと考える。他局にある科学の特徴をただ面白おかしく実験している番組ではない。ナビゲーター、コメンテーターも番組の主旨に耐えうるメンバーを擁してる印象を受けた。

眞鍋かをりさんがメインのナビゲーターを担当している。ご本人がなかなかの科学好きのようで、コメントの端々から付け焼刃ではない知識・興味を持っていることを感じさせる。実はこうした番組は大体の場合は内容は良くても、出演者には問題ありと言うケースが少なくなかった。せっかくの番組内容でも単に有名人タレントを並べてコメンテーターの役割をさせたり、美人を立てるだけで終わってしまったり、お笑い芸人などを驚かす番組などが多くて、全体的な興味深さを減衰させてしまうことが残念だったことを思い出す。その点で彼女は私が想像している以上に番組には適任なのかもしれないと思った。
また、その他の出演者も科学者は当然として、他に哲学者などを起用している点は特筆すべきことかもしれない。いまだ断絶の感のある科学と哲学に積極的に橋を架けようとする発想は混迷する現代社会において極めて重要な視座であろう。まだ番組中では科学の現在を哲学者から見た視点で質問・対話するという形式のようだが、このスタンスを発展・開発していくことで国民に対して高い価値を生み出す可能性があるように感じる。(現状ではまだまだ哲学的見地からの科学問題へ切り込みは浅い状況のようであるが、それは番組の敷居を高くしすぎない視聴者への配慮でもあるのだろう。)

その上で私がこの記事を書こうと思ったのは私なりに番組に要望があるからに他ならない。科学そのものを解明していくのは人間であるということは疑いのないところであろう。だからこそ「人間」と「科学」との関係を真正面から見据えて欲しいのだ。科学技術の進展や開発それ自体に価値が生まれるのではない。それはある程度の普遍性をもった法則を「取り出した」にすぎず、それをどのように「使うか」という視座に立ってこそ人間にとっての価値が生み出されるわけだ。合わせて科学技術がもたらす「負の可能性」についても哲学者を交えて考察をしていくべきであろう。一つの番組の中で抱え切れない内容かもしれないが、これからどうしても取り組まなくてはいけない課題でもあるのだ。

現在の日本では自然科学・社会科学の両方が各専門に分化されてしまい、「人間という統合体」そのものへのアプローチの手法を見失っている現状を認めざるを得なくなってきている。そのような専門化された視点からは「全体」を俯瞰してみようとする能力・機会に欠け、いたずらに諸問題の原因をその専門分野からのみ把握しようとするあまりに結論への誘導の仕方が歪んでしまっており、結果として社会はますます混乱の極みに達していくという泥沼にはまってしまうことになるのである。そうした専門化された領域を縦ではなく横に繋いで行く作業こそ、哲学が担当しなくてはいけないのである。その意味でこの番組が哲学者を起用していることは注目に値するし、科学を志向する者にとっていまや哲学を踏まえることは避けては通れなくなってくるものと確信するのだ。科学の発展がどのように人間世界に影響を及ぼし、利便性を高め、文化的生活を営むための手段たりえるかということを「人間」の視野から見つめなくてはならないであろう。そして人間にとって科学の発展がどのような「負の可能性」を示すかということも真正面から捉えていかねばならないのである。

ノーベルは自らが開発したダイナマイトが軍事に使われることに激しく心を痛めたという。平和と人間の協調のために彼はその財産を惜しみなく後世に託した。それが今日のノーベル賞となっているが、ともあれ「何のために自分は技術革新に命をかけてきたのか…」という問いは世の先端を行く科学者の共通の心の傷となって表出している。アインシュタインも原子爆弾製造のきっかけを作った科学者である。自らの手の内にある『科学』が幾多の人間の存在を否定しかねない要素を持つということから決して目を背けずに、人類は科学の進歩を見守らねばならないのだ。

以上、テレビ番組に対してこのような課題は求めすぎとの指摘もあろうが、人間にとって重要な視座であることは間違いないと思う。単なる科学番組としての位置づけを脱却し、さらに価値ある番組へと昇華されることを願ってやまない。そうした課題に少しずつでも取り組み続けるならば、未来を思考する子供達に対して非常に有益な番組になることを信じるものである。

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kyao

サイエンスZERO、私も良く観てますよ。(^^)
以前、同局で放送されていた「サイエンスEYE」のシリーズ番組ですが、いろいろな話題について、簡単に解説してくれるのが嬉しいです。(^^)
特に「科学は難しい」「科学は退屈」と思ってらっしゃる、科学嫌いの方にはお勧めしたい番組です。(^^)
by kyao (2005-08-08 07:52) 

アキオ

化学は道具の技術でしかないと思いますが
現在の状況は、科学の進歩に惑わされてる状況のようにも見えますね。
道具はどこまで行っても道具、使う人次第ですよね。

そこのところは誰しもキモに銘じるべきことですね。
軍事に使うも、平和に生かすも、使い手次第。
全ては人間に回帰する。
科学と哲学というのは非常に近いものであると思いますが
それに加味されるべきは、ヒトの心に全て握られているということだと思います。

心と頭、あまりにも乖離しすぎて、物の技術に振り回されてるように。。。
by アキオ (2005-08-08 09:58) 

marucharat

私も、時々見てますよ、サイエンスZERO
科学をわかりやすく斬っていてオススメの番組です
それでいて、紹介した科学技術はどうあるべきかという対話コーナーが番組をピンと引き立てていますね

本放送は確か土曜の夜にやってるのですが、大体みるのは火曜深夜の再放送なのです

当初、キャストとして眞鍋かをり嬢はどうかな~と思っていましたが、意外に番組にマッチしていますね(失礼しました、眞鍋さん)
by marucharat (2005-08-08 21:54) 

銀鏡反応

私は時々サイエンスZEROを見るタチですが、科学を単なるヴァラエティのネタにせず、真正面から向き合って番組造りをする姿勢には非常に好感を持てます。
もっとこういう真面目な科学番組が、青少年たちの支持を得られれば、彼等の理系離れに多少ナリともブレーキがかかると思うのですが…。
by 銀鏡反応 (2005-08-08 22:10) 

銀鏡反応

追加コメント:
科学と哲学の橋渡し的TVプログラムが民放でも放映されてほしい、
この番組のように。
by 銀鏡反応 (2005-08-08 22:12) 

参明学士/PlaAri

kyaoさん、私はいままでこの番組を知らなかったのですが、結構コンセプトもアプローチもいい番組だなぁと感じました。仰るように科学と距離を置かれている方にはオススメしたい番組ですね^^

アキオさん、このところ原爆・被爆特集が多いですが、あのような事実を目の当たりにすると科学に振り回されるの人間の横暴さ加減に激しく憤ってしまいますね。核の技術はそれ自体がいい悪いではなく、やはりそれをどのように扱うかという人間の資質のほうに問題は絡んできますよね。

marucharatさん、番組コンセプトは結構評価できると思います。対話コーナーに哲学者を用いているのもいい傾向ですよね。科学が哲学等の人間に関わる基本の解明にも寄与してくれるようになれば最高です。
眞鍋さんは一般に思われているよりも実はあのような教養番組を好んでいるのではないかなと感じます。

銀鏡反応さん、科学をバラエティ化している番組は結局のところつまらないんですよね。ひたすら驚かして終わるというコンセプトですから。そしてそれをオーバーに表現した芸人達が笑いを取る。そんな科学じゃないだろって感じです。
サイエンスZEROはそうした雰囲気は全然ありませんし、斬新なアプローチには期待が持てますよね。民放で科学と哲学ですか…。まずはスポンサー自体が賢くならないといけないかもしれませんね。いい番組にだけ広告を出す判断をしてもらいたいものです。
by 参明学士/PlaAri (2005-08-10 10:26) 

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