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ケータイは本当に人と人を近づけたのか?(1) [思索の散歩道]

日本国内で9000万件弱の契約数を誇る携帯電話。劇的に人間と人間のコミュニケーションを連携・多様化させたと言われているが、考えようによってはそうとばかりは言い切れない部分もあるのではないだろうか。

携帯電話登場期のことを考えてみる。その時、人間はどう携帯を捉えていたか。それは「どこでも連絡が可能になる利便性の高いもの」と思ったことであろう。そしてそれは事実そうであった。まだまだ当時の端末価格、月額利用料は高額で一般消費者にとっては縁のないものであった。

ここで携帯電話と固定電話の違いについて箇条にして挙げてみたい。(本文では携帯電話の定義にPHSも含めることとする。)

  1. 携帯電話は持ち運びが可能であり、出先でもほぼ不自由なく使うことができる。固定電話では当然無理である。

  2. 通話料が固定電話に比べて割高である。(もっとも最近では限定的であるものの「話し放題」になる携帯電話のプランもある。)

  3. 付加機能の多様さは固定電話機を遥かに凌ぐ。(メール、音楽機能、インターネット、カメラ、テレビ機能、ゲーム、GPS(地図)機能、位置お知らせ機能、電子決済等々)

  4. 電話帳機能への依存度の高さも携帯電話は固定電話のそれを大きく凌ぐ。

  5. 携帯電話には「買い替え」という考え方がある。固定電話にはほぼそれは見られない。故障すれば買い換えるという程度であろう。携帯電話の技術・サービスは日進月歩であり、定期的に最新機種が提供される。近年、端末の値段は高水準で推移している。携帯電話産業の成長期にはただ同然で機種を投売りし、契約数を確保するという、いわゆる「縄張りの確保」競争が顕著であった。

  6. 携帯電話初期時代から発着信に「電話番号通知機能」があった。現在は固定電話でも可能だが、対応機種の購入及びナンバーディスプレイの契約は別途である。つまり、はじめから携帯電話は予め通信相手が分かる電話だった。

  7. 携帯電話は「個人」の持ち物である。一家に一台という考え方は基本的になじまない。一方固定電話は「家」の持ち物である意味合いが強く、ほとんどのケースで一家に一台である。携帯電話を「家族で共有」するということはほぼ例外に属している。つまり携帯電話は所有者の「個性」を表しており、所有者のプライベートである。家族でさえもそこに立ち入ることには抵抗があろう。

  8. 医学的に未知数ではあるが、携帯電話の電磁波による健康被害が想定されている。また、ペースメーカーを入れておられる方には悪影響の及ぶ可能性が高いという。具体的に健康との因果関係は研究中であると言われているが、固定電話ではそのような話は聞かない。なお、PHSは携帯電話に比べて電磁波の影響が格段に少ないことをアピールしている。

    (蛇足だが、電磁気学の世界では電磁波の波長が短いほど人体に対する影響は大きいと考えられている。短いものの代表はガンマ線・エックス線・紫外線であり、長いものの代表は電子レンジに使われているようなマイクロ波・テレビ、ラジオ等の放送波・携帯電話等の電波、赤外線等々である。)

続いて、携帯電話が登場したことによって起きたと思われる社会現象面からのアプローチを試みる。


  1. 携帯電話の普及によって、犯罪の通報や救急車の呼び出し、海や山等の特殊地域からの連絡も取りやすくなった。つまりはフットワークが軽くなった。固定電話ではそうはいかない。

  2. 各家庭の総支出は携帯電話の登場により確実に上がっている。近年では小学生まで携帯電話を所有しているケースも多い。その支払いを含めると月々の小遣いが数千円ということにもなろう。家庭の負担増加の一因である。家庭としては子供の数分だけ携帯電話を持たされることになる。

  3. 公衆電話が劇的に減った。決してなくなりはしないであろうが、確実に需要は減っている。もうテレホンカードと言う言葉も聞かなくなって久しい。

  4. 携帯電話の登場により、ポケットベルを駆逐した。

  5. 携帯電話の高性能化に伴って、PDAなどの小型情報端末の存在を脅かしている。場合によっては本家デジタルカメラの代用品としても活用され始めている。ワンセグ放送に対応する機種も出始めており、テレビ文化の変化も誘導する可能性がある。

  6. ひとたび携帯キャリアに不具合(電波障害・不通)などが起きると、社会が混乱してしまうほど携帯電話への依存度は上昇し続けている。

  7. 移動中でも情報検索が容易になり、利便性が極めて高まった。もはや紙媒体のタウンページを開く人は少ない。

  8. 携帯電話の普及によって互いの連絡は楽になった。それは人の待ち合わせ等に融通さを持たせることとなった。いつ・どこでも連絡が取れるという利便性を逆に評価すれば、人間の行動はギリギリまでいい加減になったとも言える。

  9. 携帯電話を持つことはステータスという領域を超えて、一般常識に近くなった。実際、携帯電話を持っていないということが周囲に「迷惑だ」と認知されてしまうケースもある。

  10. 携帯電話に限ったことではないが、機械に不慣れな高齢者世代との隔絶感を誘発した。「簡単ケータイ」と銘打った商品が供給されているにしても、その感はぬぐえない。ただ、簡単ケータイに見受けられる特徴として、通話のみを目的とした「どこでも話せる」という携帯電話の原点を追求するスタンスが挙げられる。付加機能としても位置確認等の「周囲の人間のための」機能充実が図られている。

  11. 携帯電話の電波が届かない所を人間が嫌うようになってきた。お店でも「電波が入る」と銘打っているところも少なくない。

  12. 携帯電話が犯罪行為を幇助しているケースもある。090金融をはじめ、ワンギリ着信記録残し、スパムメール、プリペイド式携帯電話を脅迫電話として活用するなど、犯罪の先進性に一役買っている部分もある。

  13. 携帯電話の「マナー」と言うことが叫ばれるようになってきた。ところ構わず電話をするのは不謹慎であるという考え方。ちょうど、タバコの問題と似ているだろうか。もちろん、携帯電話の普及前には「マナー」など存在しようもなかった。


以上、思いつくままに羅列した。述べたいことはいくつもあるのだが、今回皆さんと共に考えてみたいのは以下のことである。


ケータイは本当に人と人を近づけたのか?


便利な世の中になった。電車の乗り換えも 、終電の検索も、周辺スポットの検索も手の平の中で出来てしまう。用事を思いつけばどこでも目的の相手に電話をかけることができ、自分にも連絡が入る。非常に便利である。

だが…。

 

以降第2回に続く。


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まいけるさん

ナルホド。
オイラも持ち始めて10年余。
考えさせられます。
by まいけるさん (2006-05-19 15:11) 

barbie

日中仕事をしている間もお母さんと子どもを繋ぐ「安心」、保険のような気持ちで持ち始めました。当時から考えるとメールはもちろん、カメラ、音楽、お財布の機能まで持ち合わせるようになるとは思っても見ませんでした。子どもにケイタイを持たせるのは賛否両論があるでしょうが、ウチでは中学生の時から持たせています。ただし、親がケイタイの使用料を払う以上、親がパスワードの管理(つまり見られて困る内容の着歴やメールは送受信するなってこと)、利用料の上限を設けています。月末が近づくと「いつ止まるか・・・」GUSOKUは怯えております(笑)
by barbie (2006-05-19 15:33) 

peace_mac

ほんと、仰る通りですね。
私の場合、基本料金3万円、保証金10万時代から使っています。
社会現象面の8の「人間の行動はギリギリまでいい加減になったとも言える。」はかなり頷けますね。得にメールなんですが待ち合わせの時に「遅れる」とか「急に行けなくなった」とかの連絡を安易にメールでしてくる事が多くなった。いくら受信範囲が広くなったとはいえまだまだ圏外の所があるわけで。とくに地下など受信不可能な場所も多々。サーバーの処理不足で延滞することも。100%即相手に届くとは限らないもので大事な連絡をメールですます。
「待ってたのに結局来なかったやん」のクレームに「メールしたやん」で済ませられる。相手に届いたのかな?と気にならないのかな?と思ってしまいます。それ以外にも言いにくいことをメールで済ます。顔が見えないから楽なのだろうが人間関係が崩れるかもしれないことをあまり考えていない。一丁一旦でしょうが必ずしも携帯が人と人を近づけたとは言い難いと思いますね。
by peace_mac (2006-05-19 19:00) 

携帯電話の登場は多くの恩恵を世の中にもたらしたといえるのではないでしょうか。ただ、物事に必然的にある表裏の関係において、携帯電話は、個人が自由に使える分だけマナー違反も含めて、要らぬ干渉とストレスをも作り上げたのも事実だと思います。何十年か後、人々は今以上に、携帯電話、パソコンなどの現在の神器が存在しない世界で、自然回帰を願うのではないでしょうか。それがQuality Lifeとなって。。。 僕はそう思います。
こういう僕は、Blogを通じて明士さんとつながりが持てる恩恵を受けています。
by (2006-05-20 12:19) 

参明学士/PlaAri

★まいけるさん(さん)、私ももうじき10年です。考えること、たくさん…ですね。

★barbieさん、多忙な社会において確かに親と子を繋ぐツールとして携帯電話は価値があるのですよね。確かに月末は恐ろしいと子供でしたら思うでしょうね。多機能化はやはり避けては通れないと思いますし、利便性はますます高まっていくことでしょう。今回の記事の主旨は次回に持ち越しになっておりますので、そちらをまた読んで頂けると嬉しいです。

★マックさん、基本料金3万、保証金10万…。ホントに昔から使われているのですね。確かにメールでの予定キャンセル、多くなりました。あれは良くない。絶対に採るべき手段ではありませんね。利便性の影に「うしろめたさ」を隠す道具にもなり得てしまうという点を考えて欲しいんですよね。次回にそのあたりのことを書こうと思っていますが、携帯電話の登場って良くも悪くも一つの文化を作ったなと。その本質に迫っていければと思っていますが、次回はその続きを書きますのでどうか宜しくお願い致します。

★木鶏さん、自然回帰とのお言葉。深く感じ入るところがあります。時々テレビなんかで放映されていますが、徹底した自然回帰を目指して生活していらっしゃる方も増えてきたんですよね。携帯電話だけではなく、どうも近代的なシステムは息がつまりそうになります。人間の負の部分を助長しかねない部分があるとも言えるのではないかと思うんです。こうしたwebもそうですが、匿名で自由に書くことも出来る。つまり不満の捌け口の出し所として。そうなれば某巨大掲示板のような「品格」が出来上がる。どうも、便利さが功を奏していない顕著な例なんだなと感じるんです。
一方で木鶏さんのような素晴らしい知人と知遇を得ることも出来る。使いようによっては利便性はさらに人間性を高めていけるはずなんですよね。
by 参明学士/PlaAri (2006-05-22 11:48) 

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