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不透明な時代を生き抜く [思索の散歩道]

 社会の喧騒が目につく。耳に入る。

 何やら事件が多い(気がする)。

 残忍な犯行が多い(気がする)。

 良い人が減ってきている(気がする)。

 カネカネカネ。カネこそ人生の目的だという人が多い(気がする)。

 資本主義の世の中である。カネのない者は何かと不便を強いられる(気がする)。 

 ひとたび、「勝ち組」あるいは「負け組」に属したならば、そこで人生は決定される(気がする)。

 だから、勝ち組に入る手法を考えなくてはいけない(気がする)。

 だいたい、「勝ち組・負け組」って何のこと?

 世の中でそう言っているし、実際にあるんだろう(そんな気がする)。

 だが、これはやはり「気がする」だけの話にすぎない。

 結論から言っておこう。

 「学者でも捉えがたい巨大な社会を気分で知った気になるな。各個の人々はその状況に応じて力強く、あるいは悩みながらも一貫して『自己の生命』を生きている。誰も侵しえない自己があることに自信と誇りを持て。」

 「社会」という言葉は、時にそれ自体が内包する「各個人の存在」を捨象しがちである。

 間違いなく「個人の集積」が社会であるのに、社会を考える時に個人を見失う。

 我々はまず断固として「個人」ではないか。

 そして今の世は民主主義である。

 個人がどう生きるかを決定する権利は一人一人に委ねられている。

 ならば、「まず自分がどう生きるかを積極的に決定せよ」、と私は言いたい。 
 
 世の雰囲気がどうあれ、「己で自分の生き方を決めていく」ということに何ら本質的変化はない。

 「だが、現実は厳しい…」などと言う人もあろう。

 私は思う。

 「その厳しい現実を自己の飛躍台と定めよ」、と。

 そう決めきっていくのだ。

 現実の重さが厳しいほど、その飛躍台のバネは強く私を押し上げる。 

 幸福な人は環境をさほど論じはしない。

 むしろ、自己への問いが鋭く、そして激しい。
 
 君よ、ぐずぐずと出来ない理由をこしらえて、自分の周りに深い堀を作るな。

 そうやって自らの心と体を兵糧攻めにする行為はやめよ。

 誰もそのような孤立した城に兵糧を投げ込んではくれぬ。

 水は絶たれ、食料は絶たれ、やがて希望も絶たれる。

 城を開き、対話の準備をせよ。

 城を開けば、援軍が入城する。時には敵軍も侵攻してくるに違いない。

 それでいいじゃないか。

 苦難を友とする気概を持て。

 角度を変えてみれば、苦難とはPCソフトのようなものだ。

 我らの脳をPCにたとえてみる。

 苦難を乗り越える経験を脳にインストールせよ。

 人間の脳というものは凄いものだ。

 得がたき最高のデバイスである。

 どのような環境をもインストールし、そして活用することができるのだ。

 堕落や怠惰や安逸ばかりをインストールするな。

 容量の無駄だ。

 人間は自己と環境を一体的に統御・創造していく力を持つことが出来る。

 その力をインストールせよ。だから苦難という環境を嘆くな。

 苦難それ自体はちっとも不幸なんかじゃない。

 苦難に心身が負けることが不幸である。

 我が人生を大きく考えよ。

 過ぎ去ってみれば、人生の全てが通過点である。

 君よ、不透明なこの時代にあって、何事も嘆くことなかれ。

 その時代、その世代に、特有の悩みは尽きぬものである。

 人類誕生以来、そうした苦難を避け得たことはないのだ。

 猛獣との生存競争、食料確保の悩み、苛烈な自然環境への悩み、

 意思伝達の悩み、民族維持の悩み、他者との争いの悩み、

 戦国期の領土争いの悩み、江戸期の安定を望む悩み、

 戦争で人を殺さねばならぬ悩み、殺される恐れへの悩み、

 経済の悩み、恋の悩み、家族の悩み、希望への悩み、

 自己存在の悩み、そして生老病死への悩み。

 いくら数えても数え切れぬ悩みを克服し、また内包しながら人類は進んできた。

 その人類の一員が君である。
 
 悩みや苦難は人類が生きることとセットであった。

 だが、決してそのことは人類が不幸であったことを意味しない。

 君よ、君が君自身の人生を堂々と送ることを期待する。

 必ず応援する。

 大きく考えよ。

 天空を飛ぶ鳥が大地を悠然と見おろす視野の広さを知ろう。

 大きく考えよ。

 この世を楽しむために私たちは生まれた。

 私たちは苦難をも楽しめるようにできているのだ。

 苦難を楽しめるようになったら、その他は全て楽しい。

 大きく考えよ。

 人間は偉大な生き物だ。

 すなわち君は偉大な生き物だ。

 だから、頑張れ。

 私も共に頑張ろう。

 あぁ、今日が輝かしい。

 明日は更に輝かしくしていこう。

 この、私の手で。

 そう、君の手で。



大きく考える人が成功する

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  • 作者: ディヴィッド・シュワルツ
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2005/09/08
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kyao

人間とは数億から数兆の細胞の集まりですよね。では、人間が単なる細胞の塊かといえばそんなことはない。
つまりは単純なものの連なりが、より高い次元を目指すものに昇華される可能性があるということを如実に示しているように私には思えます。

なら、社会とて、一人ひとりの人間の積分。より良く進化しようとするなら、ひとつひとつの細胞たる私たちが、より高みを目指せば、そこに更なる進化の形が見えてくるような気がします。(^^)
by kyao (2009-05-14 14:45) 

木鶏

明士さんとkyaoさんが、斯様に想いを形ある文章に
構成できることに、先ずもって感服です。

いつもながら、含蓄ある文章に聴き入ってしまいました。。。


by 木鶏 (2009-05-14 22:49) 

参明学士

★kyaoさん、私も仰るように考えている一人です。社会といっても人間の集積であります。故に一人一人の人間がどのような思考・倫理を持ち、どのような哲学・行動規範を持って、どのような生き方を目指していくのかということが、根本的な問題であると感じますね。
善悪を明敏に切り分ける指標を定めることは難しいですが、それでも「通常の善意」を抱く人々が連帯して社会的な善を広げていくというスキームを持たねばならないなと思うのです。

ともあれ、基本的にkyaoさんと私の考えが近似値を取っている事実は、人間同士が何らかの思考を共有しながら進化のステージを辿ることができるという可能性を示唆しているように思えてなりません。
この地球号に乗り宇宙遊泳をしている人類にせよ、個人にせよ、希望を抱くことの大切さを想わずにはいられませんよね。

★木鶏さん、kyaoさんとはblogで知己を得るようになり、様々に意見交換をして参りましたが、思考の共通性を感じることが多々ありました。こういう出会いをWebが提供できるのだという事実をきちんと見つめていくことが、Web時代を生きる我々の基本認識でなくてはならないのかもしれません。

木鶏さんとの交流も、私にとっては得がたき大切な歴史であります。これからもどうかよろしくお願いいたします。
by 参明学士 (2009-05-15 13:12) 

サァファイヤ

>君よ、ぐずぐずと出来ない理由をこしらえて、自分の周りに深い堀を作るな。

なんだか、この部分を読んだら、ドキッとしてしまいました。
ぐずぐず理由をこしらえているかも・・・。

by サァファイヤ (2009-05-15 18:12) 

参明学士

★サァファイアさん、人間は誰しも「無意識にしていること」があるはずです。堀を作ることも無意識での行為であることが多いのではないでしょうか。であるならば、そうした現状をきちんと「意識」していくことが、これへの脱却のカギになるのではないかと思います。その意味で、問題点を具体的に言語化する営み(例えばこうした一行哲学もその一種です)に価値はあるものと考えて書いているところです。

こしらえている理由、もしあるならば、打ち破れると良いですね!
by 参明学士 (2009-05-17 03:38) 

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