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ネット上での匿実名論争を考えてみる…前編 [思索の散歩道]

 何らかのテーマを真剣に考えてみるという機会が結構久しぶりな気がする明士です。

 最近行われた勝間和代さんと、ひろゆきさんの対談が何やらこじれたらしく、ネット上でも話題になっていたのがきっかけで、とある論争が存在することを知りました。幸福度の問題なんかも語られていて、着陸点も見つからない状態のようです。こういう話、私は好きですけれどね。(参照元:さかなの目さんのブログ

 本エントリーのテーマについてはタイトルの通りなんですけれど、こんな記事があったりしてなかなか興味深い内容となっています。大雑把に言って何が議論されているのかというと、責任の所在であるとかリスクの大きさであるとか、個人がウェブに参加する上での「社会性」にまつわる話なんですよね。以下のような始まりでリンク先の記事が枕を打っています。

 

「匿名だと無責任なことがいくらでもできる」

「実名だとリスクが大きすぎる」

 

 この文言を見て私が率直に感じるのは、ネットユーザー(以下、ユーザー)が何を目的にインターネットと関わっているのかを思案しなくちゃいけないということですね。匿名投稿で無責任なことをしたいとか、リスクを避けてネットを使いたいとか、そんなことばかりを考えているわけじゃないでしょうと。また、ユーザーは参加型の人もいるだろうし、参照型の人もいますね。多様な意見を「参照したい」という欲求を持つユーザーもいるわけで、そうするとネット世界での多様性を担保させるための「匿名性保護」という考え方が成り立つ素地もあるでしょう。と言うか、そもそも「匿名か実名か」なんて、そんなに重要なことですかね。

 大体ですよ、仮に実名主義を採ったとして、ネット上でユーザーが使う名前が「実名か否か」って追試可能でしょうか。それが事実上不可能であるならば、「匿実名の是非」を論ずること自体があまり有意義ではないような気もするのですけれど。発言者のIPアドレスを辿る云々なんて議論も有りますが、そのような対応は一般性とは異なる「特段の事情」に属することであって、実質的に大衆の手でこね上げられて作られ続ける「落書きされながらも厳然とそびえ立つ摩天楼」のようなネット上の多様な情報世界に、本当の名前か否かを確認できないような「実名主義」を投じることで果たして一元的な責任や規律を与えられるでしょうか。 
 匿名か、実名かはユーザーのインタレストの中心からは逸れた話じゃないですか。ウェブ上で名乗る名が真か偽かを検証出来ない以上、本質的に「不毛さ」を包含する匿名・実名議論にはあまり引きずり込まれない方が賢明だと思います。

 とは言え、この問題を「考えない方がいいよ」で終わってしまっては身も蓋もないので、私はユーザーが「ネット世界に何を求めながら参加しているのか」と言う点と、ユーザーの意見表明の足場ともなる「名」について考察を加えながら、記事を書き進めていきたいと思います。

 

 次回以降に続きます。


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サァファイヤ

そんなのどっちゃでもいいじゃん、と片付けてしまいそうです。
匿名でも責任を持って書いている人もいるでしょうし、実名でも好きなことを書いている人もいるでしょう。
ただ、実名の場合、調べようと思ったら調べられてしまう、という怖さはありますね。
by サァファイヤ (2010-05-09 18:47) 

銀鏡反応

匿名か実名か、というネット上の意見参加問題について、私個人の思いを言えば、ネットに参加以来、ずっと匿名でものを書いたり、意見を主張したりしています。

匿名であっても、決して無責任なことは書かない、何を書くべきか、そのとき(瞬間的であっても)考えるのが自分のスタンスですが、一時はそのスタンスがゆれたことがあります。

匿名か実名か、ということはおっしゃるとおり、実にユーザーインタレストからは逸れた問題ゆえに、これを追求すればするほど、砂漠のような不毛な議論に陥っていくことは私も自明のことと、今は考えています。

ネットライフを送る事で最も大切なことは、これはリアルな言論界でもいえることですが、自己の言動にしっかりと責任を持ち、匿名だからといって人の心を傷つけるような誹謗中傷は何が何でも控えるということではないか。最近に至るまでの2ちゃんねるにおける日本ネットの頽廃ぶりを見て、そのことをいよいよ強く感じるのです。


by 銀鏡反応 (2010-05-09 19:01) 

まさ

2chに関しては時に匿名希望者がお互い匿名なのに自己主張しあってたり。。。変なところだな~。と思います。
というか、会話が「意思」ではなく「共有」とか「一般論」で成り立ちがちな昨今を見ると、匿名であろうが無かろうが考えなきゃいかん事があるように思います。

by まさ (2010-05-10 03:56) 

kyao

うーん…。
インターネットの匿名性が良いことなのか悪いことなのか、というお話って、どこかインターネットと言うメディアの本質から乖離しているように思えるんですよね。

つまり。
こういうお話って、インターネットが匿名で利用できることがすなわち悪いこと、みたいに言われがちですよね。
匿名であることがある種の犯罪を助長する要素になっていることは分かりますが、じゃあ、全員実名になればそう言う犯罪はなくなるかといえば、そんなことは無いわけで。
似たようなことで、暴力が描かれているマンガや映画を見せたりするから、暴力行為に走る若者が増える、みたいなことを公然と口にする評論家がいます。でも私にはそれが正しい意見とは思えません。
海外のSNSには実名でないと登録できないところもあるそうですが…私は自分が運営しているブログやHPを、自分の旦那には見て欲しくないし。

普通の家庭にだって、使いようによっては人を傷付けることができるものってたくさんありますよね。
インターネットの匿名性も同様で、それ自体には善悪の区別はなく、結局は使う人間の良心に問うべき問題ではないかと思います。
by kyao (2010-05-10 20:14) 

参明学士

★サァファイアさん…仰るとおりで匿名か実名かなんてどっちでもよくて、他人に決められるようなことじゃないですよね。きちんとネットと向き合っている人なら、そのような問題は「問題じゃない」と思うことでしょう。

★銀鏡反応さん…ネット上での言論活動を拝見しておりますが、お持ちの信念や正義感を感じますよ。ネットであれ、それ以外であれ、事物に対する洞察力が高まっていけば、自ずと言論の質も比例して向上していくものと私は思うのです。人はまっとうな意味での「人生への取り組み」がなされていくことが大切であると考えます。そこでの経験や学びこそ、より「本質的な視点」を備えた言葉として紬がれていくことでしょう。

★まささん…2chは「2chという場」を確立した感がありますね、良い意味でも悪い意味でも。ソースが2ch≦スポーツ新聞程度の信頼度という構図を私は抱いておりますが、各個人に情報源のイメージというのがそれなりに備わっている可能性はありますよね。
大手の新聞で言うと朝日なら左系で産経なら右系みたいなものでしょうか。2chにはそうした明示的なイデオロギーは感じませんが、「2ch文化」のような特殊な雰囲気があることを認めることはできそうです。よく言えば多様性の広場、悪く言えば仕切られていないカラオケボックス(自己満足を撒き散らす)とでも言いましょうか(あんまり上手な例じゃないですね)。

>会話が「意思」ではなく「共有」とか「一般論」で成り立ちがちな昨今を見ると~

なるほど。参考になります。確かに「ひとり合点」と「会話」は別物ですものね。会話のように人間が2人以上絡む場合、仰るような視点を持つことがコミュニケーションにとって重要な視座であると思います。私が本エントリーの後編で示したかったことにも通じているように感じます。まだ仕上がってないんですけれどね…(汗)。

★kyaoさん…仰る通りですね。ネット利用と匿実名論争なんて、本質的には親和性が高い問題ではないですよね。確かにそんな議論が沸き起こるほどのモラルの低下は嘆かれるべきこととは思いますが、やはり「名」に関して制限を加えていく方向性には賛同できません。

>インターネットの匿名性も同様で、それ自体に善悪の区別はなく、結局は使う人間の良心に問うべき問題

全面的に賛成です。いや、これはネットだけのことではなくて、科学と人間についても等価の問題ですよね。科学それ自体に善悪はないはずです。問題はそれを扱う人間の側にある。人間がどうあるかで、ネットも科学も、その姿を大きく変容させることでしょう。私が本エントリーの後編で述べたいのは、まさにそうした視点での問題提起なのです。
by 参明学士 (2010-05-14 20:03) 

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